合唱団じゃがいもは、作曲家の林光さんとともに、数多くの作品を作ってきました。
林光さんが書いてくださったじゃがいもについての文章をご紹介します。
第27回定期演奏会プログラム [2000.10.14]
ことしは、賢治にひと休みしてもらって、北米先住民の口承詩とつきあうことになった。
といっても、金関寿夫さんの日本語訳を抜きにして、この作業はあり得ない。
かれら先住民の驚くべき詩は、それを愛し、よく知り、しかもみずからも詩人である金関さんの、簡潔にして明快な日本語を通して、はじめてぼくたちのものになる。
金関さんの、翻訳と紹介・解説がすばらしいのは、かれら北米住民の世界へぼくたちを閉じ込めるのではなく、そこを起点として、世界じゅうの、先住民・無文字社会・早く栄えすぎた文明、のなかの詩への、ひらかれた関心をぼくたちの中に呼び起こしてくれるからだ。
事実、これらの詞華集を前にして、思わず夢見た構想(今回のではない)は、南北アメリカ大陸の先住民たちにとどまらない。ぼくたちの南島や北方や、とおくケルトの歴史もさかのぼり、時空を越えて、自然と一体となって生きる人びとの口承詩の一大ページェントをくりひろげることだった。
今回の、限られたテキストによる試みを、珍しく再演となった『かしわばやしの夜』がおぎなってくれるだろう。
〔曲目:⑴『花と鳥と木々の歌』、⑵合唱劇『地の歌 風の歌』、⑶音楽劇『かしわばやしの夜』〕
第29回定期演奏会プログラム [2002.10.26]
『鹿踊のはじまり』を書いてからでなくては死ねない、なんてはじめは冗談で、でもそのうち冗談で言うのはなにやら不謹慎に思えるようなトシになって、実のところまだまだ準備不足のような気がしながらもエイと決心してとりかかったのが、この作品である。
1945年に出会い、1977年にはじめてその詩に曲をつけ、1986年にはじめてオペラを書いた宮澤賢治サンとのつきあい。1977年の『鼠たちの伝説』(佐藤 信)からはじまった、呼び名はいろいろ変わるが〈合唱劇〉の経験。1970年にジャズシンガー安田 南が歌った『センチメンタルジャーニー』いらいの加藤 直との共同作業。そして1986年いらいの「じゃがいも」との日々。それらすべての流れがひとつに合流して、きょうの『鹿踊りのはじまり』はあるのだと思っている。
「じゃがいも」にとってもことしは一つの転機であろう。ずっと「じゃがいも」の練習場で育ってきた二世たち。かんじんの一世団員たちよりも先に歌を覚えてしまっていたかれら。ここ数年はかれらのために子供組を組織して、そのための曲を挿入していたりしていたのが、いまやおとなの仲間入りをして合唱団の中核にせまろうとしている。かれらの本格的な参加によって、「じゃがいも」の音色は変わろうとさえしている。
ところで、脱稿してから気がついたのだけれど、これまで「じゃがいも」のために書いた『狼森と笊森、盗森』『かしわばやしの夜』に、こんどの『鹿踊りのはじまり』を並べると、これはちょうど、「注文の多い料理店」から抜粋した素材による、イーハトーブ開拓史の三部作になるのだ。こんなことにいまごろ気がついた迂闊さと、気がつかなかったから果たしえたものかもしれない不思議とを天秤にかけて、はて、どう評価したものかと困っているところなのである。
追伸
いまごろになって、たいへんなことに気がついた。
賢治サンは書く。〈鹿踊りのほんたうの精神〉と。
それは、民俗芸能「鹿踊り」の解説なのだろうか。それとも、民俗芸能「鹿踊り」にはない〈ほんたうの精神〉のはなしなのだろうか。
〔曲目:⑴『二千年の光と影』、⑵合唱劇『鹿踊りのはじまり』〕
第31回定期演奏会プログラム [2004.11.6]
また、「じゃがいも」との一夜がめぐってきた。「牽牛」と「織姫」は二年にいちど逢瀬を楽しむ、変則的な牽牛織姫である。
「注文の多い料理店」の序文ではじまる第一部のために新しく作曲した二つの詩は、どちらも明るく楽しいジャンルのもの。自分の作品をピエス・ノワール(黒い芝居)とピエス・ルージュ(赤い芝居)に分類したフランスの脚本家ジャン・アヌイにならって言うなら、ルージュのほうだ。どちらものどかで明るいイーハトーボの風景の中でくりひろげられる幻想である。
『冬と銀河ステーション』では、劇中劇を思わせる歳の市の描写を手がかりにして、オペラと合唱曲のあいの子のようなステージをつくってみようとした。
『北上川は熒気をながしィ』で語られる、カワセミとヨダカとハチスズメ三人きょうだいの話は、童話「よだかの星」でおなじみのもの。
オペラ『賢かった三人』は、1994年にこんにゃく座が初演したものの、再演を期につくった縮小版。合唱団向けに直すということは特にしなかった。なんでもいいから一番になれという、洞熊先生の教えを忠実に守って破滅してしまうクモとナメクジとタヌキに、こんにちただいまの人間世界のすがたを見ることもできようが、そのことにちからを入れてつくったものではない。単純に、虚心に、おかしなハナシを楽しんでいただきたいと思う。
〔曲目:⑴『宮沢賢治詩集』、⑵合唱劇『賢かった三人』〕
第33回定期演奏会 山形公演プログラム [2006.11.4]
今年のステージは、賢治の体験をもとに、ウソとホントのまざった、「ケンジの東京日記」です。セロを習いに行ったつもりが、そこはオペラ『セロ弾きのゴーシュ』の舞台だったり、浅草オペラにでかけたら、花巻で上演するはずの農学校オペレッタだったり。
時間が折り重なって、ふしぎな世界が出現します。
ついに、「子じゃが」ならぬ「孫じゃが」まで登場する「じゃがいも」の一夜を、どうかお楽しみください。
〔曲目:⑴『宮沢賢治詩華集』、⑵音楽劇『革トランク・東京の賢治』〕
第33回定期演奏会 東京公演チラシ [2006.11.]
音楽劇『革トランク・賢治の東京』
「合唱団じゃがいも」とは、『かしわばやしの夜』や『鹿踊りのはじまり』をはじめ、宮澤賢治を下敷きに、いくつもの音楽劇を一緒につくって来たが、今回は思いきり空想の羽をひろげてみた。
賢治が二度東京へ遊学したのはほんとうだが、この音楽劇では、賢治が交響楽団の練習を見学に行くと、そこではアノ物語(「セロ弾きのゴーシュ」)に出てくる「金星音楽団」が猛練習中で、ゴーシュが楽長にどなられている、といったパラドクスが次から次へと起こるのだ。
第33回定期演奏会 東京公演プログラム [2007.1.21]
山形の「合唱団じゃがいも」が、はじめて東京公演を打つことになった。
1981年秋、鈴木義孝という青年が、山形県文化課という肩書の名刺をたずさえて林を訪れた。来年の、齋藤茂吉生誕百年を記念して、茂吉の作品をテキストにしたオーケストラつき合唱曲を作曲してほしいという依頼だった。これがはじまりで、翌82年5月、リハーサルに山形市へ乗り込んだら、「山響」の伴奏でうたっている、市内アマチュア合唱団の指揮者が、鈴木義孝という人物だった。
その鈴木が中心になって創立されたのが「じゃがいも」で、はじめはルネサンスやバロックで合唱コンクールなんかに出たりしていたのだが、まもなく方向転換、『宇宙について』など柴田南雄シアターピース、やがて『原爆小景』で林とめぐりあい…。
履歴書よりもっと吹聴したいのは、その練習風景。
若い男女が集まる共同体だから、やがてカップルが誕生し、子が生まれる。団内カップルならずとも、子連れで集まるメンバーがふえる。おおむね市のいくつもの公民館を渡りあるく練習場の片隅に、ゴザだのマットだのが敷いてあって、親たちが練習しているあいだ子供たちは、そこでごろごろと、寝っころがったり、とっくみあいをしたり、絵本を読んだりしている。ときどき脱走を計るチビがいると、合唱団の列から母親が飛び出してきて、もとどおりマットの上に置いて、また練習にもどって行く。退屈が伝染して、マットの上がやかましくなると、いちばん年上のがき大将がサッと全員を外へ連れ出し、鬼ごっこだか駆けっくらだかひとしきり時間をつぶして、またもどってくる。
こんな落ちつかない練習なんてやってられないという指揮者もいるだろう。いや、おおかたの「合唱指揮者」がそうではないのか。「集中できない!」とオカンムリになるか、即刻辞任するであろうね。ところが、じゃがいもの指揮者はそうではない。団員たちもへいき。だいいち、自作を練習してもらっている作曲家も、平気どころか楽しくてしかたがないのだ。(作曲家にもいろいろあるって? そりゃそうだ。)
敏感な読者は、もうお察しであろう。この練習所で、新曲をまっさきに覚えて歌えるようになるのは、団員でも指揮者でも当の作曲家でもなくて、マットの上でごろごろしている子供たちなのである。
子供たちを出そうよと、林が演出の加藤 直に言ったのは当然だし、加藤もまた待っていたように賛成した。ギリシア喜劇「女の平和」を加藤脚本で合唱劇にした『おまけの平和とさいごのなるほど』の稽古中のことだ。男たちに戦争をやめさせるためのセックス・ストライキ闘争の束の間の休戦期間に、子供たちが歌う『お日さんの歌』で、それは実現した。いらい、みんなが「子じゃが」と呼ぶ子供たちのシーンは、「じゃがいも」のコンサートには欠かせない。
合唱団はSATBのいずれかに所属すべきだというヒエラルキーは、ここにおいて崩れ去る。といって、混声合唱団+児童合唱団という構造でもないのだ。まあ、この目で見て聴いてもらわなければ、説明のしようもないね。
宮澤賢治『コミックオペレッタ<飢餓陣営>』をメインにすえた今回の東京公演だが、前座の『宮澤賢治詩華集』のなかの『祈り』にご注目あれ。『烏の北斗七星』の「ああ マヂェルさま…」をテキストにした、歌いようによってはかなり気恥ずかしくもなる歌を、いまやそこはかとなくオトナの香りさえ身につけてきた「子じゃが」どもが、この歌を曲にしてよかったと林が思うように歌っている。
第35回定期演奏会プログラム [2008.12.20]
無伴奏混声合唱のための『無声慟哭』
『無声慟哭』と名乗りながら、この連作のテキストは「無声慟哭」全五篇を大きくはみ出している。「無声慟哭」の作曲を試みる作曲家たちに起こりがちな、「昏(くら)さ」への引きずり込まれを避ける気持ちがあったのだろう。
『鳥のように 栗鼠のように』のほかは、2008年秋の作曲。この『鳥のように…』を含め、歌曲集「続・歩行について」などとおなじく、それぞれ、一篇からさまざまな詩句を自由に抽出して、テキストとした。
合唱オペラ『セロ弾きのゴーシュ』
前回(2006年)上演した、音楽劇『革トランク・賢治の東京』にオペラ『セロ弾きのゴーシュ』の一場面を組み込んだ。賢治が在京中にオーケストラの練習を見学したというハナシから思いついて、オペラをそのまま群唱してみたのを「じゃがいも」が気に入り、加藤 直さんにも賛同してもらって、今回の全曲上演となった。
加藤さんと鈴木義孝さんの提案をうけて、何箇所かのメロディーを合唱版に編曲。また、じゃがいも「賢治もの」の定番であるクラリネットとヴァイオリンで、ところどころに色彩をそえてみた。
〔曲目:⑴『無声慟哭』、⑵合唱オペラ『セロ弾きのゴーシュ』〕
光・通信 その53. 掲載日[2009.1.19]
2008年12月20日、山形市の「合唱団じゃがいも」は、合唱オペラ『セロ弾きのゴーシュ』を上演した。
1980年に林が作曲、オペラシアターこんにゃく座が初演した、6人の歌役者のためのオペラ『セロ弾きのゴーシュ』を、そのままの楽譜をつかって40人メンバーが演じたのだ。6人の登場人物(動物?)は、原則としてソリストが演じるが、さまざまなチャンスをとらえて、合唱団は介入し、役をソリストから奪い、あるいは共有する。その結果生じる立体感は、予想をはるかに超えるもので、林は、むかし「セロ弾きのゴーシュ」をはじめて読んだときの興奮がよみがえる思いであった。
ゴーシュ役は団生えぬきの東海林(とうかいりん、と読む)聡だが、三毛猫役は鈴木 瞳、かっこうは鈴木 恵、楽長は森谷美紀。かれらはみんな、じゃがいも二世だ。
20年ちかく昔、林が「じゃがいも」とつきあいはじめた頃、市内のあちらこちらの公民館などの施設を渡り歩いていた(いまもそうだが)じゃがいもの練習場の片隅には、きまってビニール製のござが敷いてあり、団員のこどもたちが思いおもいの恰好で坐ったり寝そべったり絵本を読んだりしていた。ひとりがござから脱走しかけると、ソプラノを歌っていた母親が駆けつけて、もとの居場所へ戻したりする。指揮者の鈴木義孝は、並みの合唱指揮者なら怒り狂うであろうそんな振る舞いを、平気な顔で眺めながら、練習をつづけている。
これは並みの合唱団ではないぞと、林はそのとき思った。
二歳から六、七歳くらいまでのこどもがひしめきあっているわけだから、一時間も経てば飽きて騒ぎだす何人かがいる。と、その気配を見てとった年長の子が、さっと立ち上がり、かれらを引率して散歩に連れ出す。
でかけて行った先で何をしていたのか知らないが、10分ほどして戻ってきたかれらは、また静かにかれら自身の時を過ごす。言うまでもないが、そのあいだにかれらは、親たちよりも早く、正確に、練習中の新曲を覚えてしまい、それぞれの家で歌ってみせるのである。ちなみに、かれらの散歩の初代の引率者が、このたび三毛猫役を演じた鈴木 瞳。
何年か経った。ビニール製のござから解放されたこどもたち、あいかわらず練習場へ連れてこられて、親たちの譜を小声で歌ったり、練習が終わって親たちが会場床を掃除するモップにぶら下がって遊び、親たちを困らせているその様子を見て、林はふと思いついて、毎年手伝ってもらっていた演出家の加藤 直に、この子たちを舞台に出そうよと提案した。
その年だったか、その次の公演だったか、アリストパネスの「女の平和」にもとづいた加藤・台本、林・作曲の『おまけの平和とさいごのなるほど』で、それは実現した。ギリシャとスパルタのくだらない戦争を、両国の女たちのセックス・ストライキが止めさせるという音楽劇の幕間(まくあい)に、「お日さん」に向かって歌うこどもたちの歌を挿入したのだ。
このとき、「子じゃが」というニックネームがついた。「子じゃが」の出番は、それからしばらくつづいた。
そして、2008年。かつての「子じゃが」はいまや成年である。ござの上のこどもたちに一喜一憂しながら合唱練習をしていた親たちの、円熟したけれどその分失われもした若いパワーを、成人した「子じゃが」が補って、じゃがいもの音色は厚みを増した。
この公演には「孫じゃが」も登場する。鈴木 烈、小学生、狸の仔を演じる。烈の歌う『あまのがわ』は聞きのがせない。