合唱団じゃがいもの合唱劇 16
合唱オペラ セロ弾きのゴーシュ(合唱劇版初演)
原作 宮沢 賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
作曲 林 光 (1986.8)
林光作品の中でも、「セロ弾きのゴーシュ」は、特別な作品である。林氏の宮沢賢治に対する思いが熟成され、老若男女誰にでも楽しめ、初演したオペラシアターこんにゃく座においても、何度も再演され、今でも代表的演目として人気を博している。この林氏の代表作に合唱団じゃがいもが挑戦することになった。それは、2年前の「賢治の東京」の中で、「セロ弾きのゴーシュ」の第一場を上演したのが好評だったことから、アマチュアでも全場やれるのでは、ということになり決まったもの。
オペラ版がどのように合唱劇版に仕上がるのか、不安な点は多かったが、林氏自身が「合唱オペラ」と命名した「じゃがいも版セロ弾きのゴーシュ」は、役者ぞろいの合唱団じゃがいもの本領を遺憾なく発揮しつつ、オペラ版にはないボリューム感、普遍的なイーハトーヴのテーストにより、見事なまでにオリジナルな舞台に仕上がった。合唱団じゃがいもの他の作品にも共通するが、役に付いた者よりもコロスの一人一人のほうが「役者」なのである。それが、合唱団じゃがいもの舞台の楽しいところだ。
合唱オペラ セロ弾きのゴーシュ【合唱版・初演】
1 金星音楽団
2 猫の訪問と印度の虎狩り
3 かっこうのドレミファ
4 仔狸のてぃーちでぃーる
5 野ねずみの母子
6 演奏会の夜
Staff * スタッフ
演 出 加藤 直
指 揮 鈴木 義孝
舞台監督 田川 律
照 明 安達 俊章
美 術 神保 亮
クラリネット 南川 肇
チェロ 駒込 綾
ピアノ 郷津 由紀子
ペープサート作成 安藤 淳
安藤 純子
トマト、栗作成 渡邉 和子
Cast * キャスト
ゴーシュ 東海林 聡
楽長 森谷 美紀
三毛猫 鈴木 瞳
かっこう 鈴木 恵
仔狸 鈴木 烈
野ねずみの母 鈴木 俊明
司会者 阿部 洋
プログラム・ノート 林 光
無伴奏混声合唱のための「無声慟哭」
「無声慟哭」と名乗りながら、この連作のテキストは「無声慟哭」全五篇を大きくはみ出している。「無声慟哭」の作曲を試みる作曲家たちに起こりがちな、「昏(くら)さ」への引きずり込まれを避ける気持ちがあったのだろう。
「鳥のように 栗鼠のように」のほかは、2008年秋の作曲。この「鳥のように…」を含め、歌曲集「続・歩行について」などとおなじく、それぞれ、一篇からさまざまな詩句を自由に抽出して、テキストとした。
合唱オペラ「セロ弾きのゴーシュ」
前回(2006年)上演した、音楽劇「革トランク・賢治の東京」にオペラ「セロ弾きのゴーシュ」の一場面を組み込んだ。賢治が在京中にオーケストラの練習を見学したというハナシから思いついて、オペラをそのまま群唱してみたのを「じゃがいも」が気に入り、加藤直さんにも賛同してもらって、今回の全曲上演となった。
加藤さんと鈴木義孝さんの提案をうけて、何箇所かのメロディーを合唱版に編曲。また、じゃがいも「賢治もの」の定番であるクラリネットとヴァイオリンで、ところどころに色彩をそえてみた。
定期演奏会に寄せて 加藤 直
「じゃがいも」の皆さんも---若者真っ只中の子じゃがの諸君は言うに及ばず---どうやら携帯電話を持っているらしい。しかし稽古中で、それが休憩の時でさえ、彼らが携帯電話を耳にしているのを見たことがない。
彼らに、ボクらの「近現代」を「近現代」たらしめている「合理」や「論理」や「民主主義」といった言葉は似合わない。だからといって「不条理」も「ポストモダン」も似合うとは言いがたい。とはいえ林光さんに次々と新しい作品を作曲させ、或いはこれまでの林光作品に別の光をあてるのだから、随分とモダンであることは間違いない。
いささか強引な言い方をすると、音楽は「不思議の国のアリス」や「ハリー・ポッター」や「夢十夜」等が描き出す「もう一つの世界」つまりファンタジーでもあると思います。が、そのファンタジーは決して遠くにあるのではなく、ボクらのこの現実以上に身近にありリアルな存在であることが、「じゃがいも」を見ていると確信できるから不思議だ。
ところで言葉は大体意味を持ちます。時に理解を強い、また伝達の道具となって、近現代人のボクらを雁字搦めにする数々の制度に奉仕しがちです。そして、人と他人との関係は「理解した」と思った瞬間、殆ど完結してしまうのです。「理解できない」時や矛盾や不思議を感じたときにこそ他人や世界に興味を持つらしいのです。
音楽は一方、見ているつもりの(理解しているつもりの)この世界とは別に、幾つもの世界があることをおしえてくれます。「今 此処」に依拠するボクらは、ボクらの身体や声は、音楽によって「いつか どこか」を体験するという訳です。
「じゃがいも」の合唱劇は、そういう訳で「劇場」がよく似合う。
舞台評 地上にある生き生きした命の姿 高畑 勲 映画監督
山形産のじゃがいもはすてきにおいしかった。ほくほくとして滋味豊か。じゃがいもの魅力で、林光さんがますます光を増した。そしてなにより、林光とじゃがいものみなさんに乗りうつった宮沢賢治自身が大いに楽しみ、喜んでいるかのような気がした。
「合唱団じゃがいも」の存在も、その定期演奏会が東京でも行われることも、山形の友人から電話があるまで知らなかった。林光に作品を委嘱して、たびたび足を運ばせ、初演の指揮もしてもらうなど半端じゃない縁を結び、そういうことをずっと二十数年もやってきていると聞いて驚いた。しかも演目が林光の宮沢賢治もの。聞き逃す手はない。
まず林光が登場し、楽しげに、また親しげにじゃがいもを紹介する。すでに多くの子じゃがが同じ舞台に立ち、練習で一番早く正確に曲を覚えるのはいまや孫じゃがたちであるという。
委嘱作品の「無声慟哭」は無伴奏、初演を指揮するのは林光自身、聴いた後で、これが次の合唱オペラ「セロ弾きのゴーシュ」と見事に響き合う関係にあることに気づく。強調されるのは、妹の最期を看取らねばならなぬ哀切さでも、賢治の迷いでもなく、最愛の妹の魂の宇宙的偏在。鳥や栗鼠や蜂や松の針など、この世に満ちあふれる命との交感。そしてもともと「セロ弾きのゴーシュ」の最大の眼目はゴーシュと動物たちとの交感であり交歓だ。
さらにオペラの中では、賢治ととし子に重なる「グスコーブドリの伝記」のブドリとネリ兄妹の森の暮らしのところ(「カッコウドリ、トオルベカラズ」)をゴーシュが読む。むろん原作にはない。というわけで、この日の演奏会全体が賢治の大切なテーマを重層的に歌いあげるという高度な趣向。
林光の「セロ弾きのゴーシュ」はその創意工夫と晴朗な楽しさ、面白さで多くの人の心を捉え、最も成功した日本オペラの傑作。私も大好き。じゃがいも版はそれをもちろん合唱でやる。けれども合唱団だから合唱団用に編曲したというにとどまるのではなく、じつに鮮やかにその必然性を感じさせてくれた。
舞台空間上にあふれる子じゃがたちの賑やかさ、拡がり。それはそのまま地上に偏在する命の生き生きとした姿そのものだ。そして音楽する歓びだ。金星音楽団のシューマンも、猫もかっこうも、仔狸の沖縄民謡てぃーちでぃーるも、野ねずみの原体剣舞連も、おかげでいやがうえにも盛り上がり、賢治と林光の喜びとユーモアを見事に増幅して観客を巻き込んだ。
そんなじゃがいもに心から拍手。聴きに行ってほんとうによかった。ありがとう。そしてこんなすばらしい合唱団が活躍している山形にも乾杯。
公演詳細
芸術文化振興基金助成事業
合唱劇版初演
2008年12月20日 合唱団じゃがいも第35回定期演奏会
・山形公演(山形市中央公民館ホール)《2回公演》
2009年1月25日 合唱団じゃがいも第35回定期演奏会
・東京公演(東京都葛飾区かめありリリオホール)
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