合唱団じゃがいもは、作曲家の林光さんとともに、数多くの作品を作ってきました。
林光さんが書いてくださったじゃがいもについての文章をご紹介します。

ゴーシュの仕事場(一ツ橋書房)

『高原』四部合唱 [1986年6月]


 『高原』(宮澤賢治詩)を四部合唱に書きなおす。山形の「合唱団じゃがいも」のコンサート(6月28日)のための仕事。
 『原爆小景』をプログラムのさいごに置くという、合唱団の意向を阻むために考えだしたのが、『宮澤賢治詩集』と銘うった最終ステージ。賢治自身の曲による『星めぐりの歌』は、これは去年の「東混・八月のまつり」で演奏ずみ。それに『岩手軽便鉄道の一月』と『ポラーノの広場のうた』を加えて三つ。あと一曲、というところで、この『高原』が浮上したものの、メロディーだけが10年まえにできたまま。じゃあしかたがない、このチャンスに四部にしようか。どうせなら、試みようとしているマドリガル〈様式〉の小手しらべにしてやろう。ということで、はじめたのだが…。

林光 歌の学校(晶文社)より ー1986年6月26日

 山形市で、ここのアマチュア合唱団「じゃがいも」と、2日のちにひかえた定期演奏会の練習。指揮者の鈴木義孝とは、何年かまえ、齋藤茂吉生誕百年祭というので知りあった。記念の曲を書けという依頼の使者が、県庁文化課に勤める鈴木で、引き受けて茂吉の短歌によるオーケストラつきの合唱曲を書いたら、それを演奏するアマチュア合唱団の指揮者が同一人物だった。平均年令60歳とかいうグループも含めて、技術も音楽性も雑多な200人あまりを、むりやり鋳型にはめこむのでなく、のびやかにそれぞれの声を出させながら、曲が必要とするまとまりをつくりだしてゆく、そのしなやかさが、すてきだった。おととしには、『原爆小景』全曲を田中信昭の指揮で歌うという、まあかなりの壮挙をやってのけた。で、ことし、その『原爆小景』を含めて、ぼくに自作ばかりで、「定演」を振れ、というわけだ。
 先方の注文は『原爆小景』のほかに、中山晋平歌曲集をやりたいということ(これは例の『日本抒情歌曲集』のなかのものと、そこからはみだした同工異曲のいくつか)。
 ならこちらも注文を、というわけで、『四つの夕暮の歌』(という、独唱用歌曲からの編曲もの)と、『宮澤賢治歌曲集』を提案する。賢治〈歌曲集〉なんてものがすでにあるわけではないのだが、いろいろな機会に書いた賢治詩によるウタと、足りなければ賢治自身の作曲のなかから拾えば、ワン・ステージにはなるだろうという、いつもどおりのいいかげんさ。だが、こうしたいいかげんさが、何パーセントか、それとも何割か含まれないと、芸能のしごとはおもしろくならない(はっきりいえば成功しない)。
 結局、賢治〈歌曲集〉は、黒色テント68/71の「宮澤賢治第二旅行記」公演のために書いた『岩手軽便鉄道の一月』、去年の「林光・東混 八月のまつり」のために編曲した賢治の作詞作曲『星めぐりの歌』、そしてこれはだれに頼まれたわけでもなく、宿題をかたづけるがごとくある日思いたってつくった『ポラーノの広場のうた』と、ここまでは決まったが、もう一曲がみつからず、以前メロディーだけ書いておいた四行詩『高原』をひっぱり出して、四部合唱に書き直した。
 『高原』のフメンが合唱団に渡ったのは本番一週間前、『ポラーノの広場のうた』はもっとあとだったろうが、合唱団のメンバーはじつに屈託なく、歌えるところも歌えないところもそのまま、ぼくに向かって突き出してくる。
 それがじつにさわやかだ。そこには、リーダーである鈴木の人柄があらわれているのだろう。カレは、この合唱団にヴォイス・トレーナーを置かず、カレ自身も発声指導などやらない(できもしない)。それでいて(それだから?)この合唱団の声はじつに明るく自由でしかもフツーのひとの声の良さを失くしていない。リーダーのもとに、肩のこらない、抑圧のない集団を組んでいるそのことが、どんな発声練習にもまさるトレーニングになっているのだろう。

第13回定期演奏会プログラム[1986年6月28日]

 「じゃがいも」の皆さんとは、4年まえの齋藤茂吉生誕百年祭いらいの再会になる。あのときは合同演奏だったが、こんどは「じゃがいも」の定演で作品コンサートをやっていただけることになり、うれしく、だが心配でもある。足をはこんでくださったお客さまと一緒に、たのしく、そして充実した一夜をすごすことができれば、とねがっている。
〔曲目:⑴『中山晋平歌曲集』、⑵『四つの夕暮の歌』、⑶『原爆小景』、⑷『宮澤賢治詩集』〕

林光 歌の学校(晶文社)

合唱団じゃがいも定期演奏会 [1986年6月28日]

 『ゴンドラの歌』ではじまる。このステージがあることを知って、来てくださったらしいお年寄りの姿が客席に見える。ついでに『原爆小景』や賢治歌曲を楽しんで帰ってくださるといいなと思う。
 賢治〈歌曲集〉がすてきだった。『高原』の混声四部をみごとに歌い、しかもさいごの、ユニゾンに終始する『ポラーノの広場のうた』もすてきだった。混声四部は高級で、ぜんぶユニゾンの曲なんかは内心けいべつしながら歌う、というような体質を小指の先のほどももたない「じゃがいも」ならではの「うた」だった。

ゴーシュの仕事場(一ツ橋書房)より

山形「じゃがいも」コンサート報告 [1986年6月28日]

 山形市。「じゃがいも」というアマチュア合唱団の定期演奏会を振る。
 ⑴ 『中山晋平歌曲集』
 ⑵ 『四つの夕暮の歌・合唱版』
 ⑶ 『原爆小景』
 ⑷ 『宮澤賢治詩集』
 という、重厚かつ本格的なプログラム。
 10年あまりのあいだに、少しずつ試みた中山晋平歌曲のリライト。練習のあいだじゅう、もうひとつ手ごたえがない感じで困っていたのが、ホンバンは、この曲集にひかれて出かけてきた(らしい)年輩のお客が、フンイキをつくり出してくれるおかげで、じつにすてきなステージになる。もちろん、そのことをプロの音楽家たちよりはるかに敏感に感じとって、よろこび勇んで張りきる合唱団あってのけっかなのだが。
 ちいさな子どもたちがおおぜいいて、ごく自然に、たいくつしたり、歩きまわったりしている。たぶん先頭に立っているのは、団員の子どもたちなんだろう。ところが、『原爆小景』では、みごとな緊張感が会場をおおう。
 しゃべる子どもはいるのだが、そのことばは、曲をきいて受けたショックを、明らかに反映している。こういった、敏感な子どもたちのおしゃべり入りの『原爆小景』は、押えつけられた静けさのなかで演奏される『原爆小景』よりも、ずっとすてきだ。
 第4ステージの『宮澤賢治詩集』は、『原爆小景』の緊張感から解放された合唱団員(お客ではないのだ)たちによって、はなやかに盛りあがった。この合唱団は、アノ全日本合唱コンクールの県代表に、一年おきになったりするくらいの「実力」を持っているくせに、『岩手軽便鉄道の一月』を、ごく自然な声でうたってしまえる、得がたいグループだ(コンクールのほうが県大会どまりなのは、そのせいともいえるのだが)。
 お客もまた、いい。『原爆小景』や『四つの夕暮の歌』のような、重厚で「本格的」な混声合唱のあとに、突如としてユニゾンの(「斉唱」の!)『岩手ケイベン…』のごとき「ケイベン」なる歌がうたわれても、へいきで吸い込んでしまう。
 張りきりすぎの報いはてきめん、『高原』でソプラノのひとりが棒を見まちがえて、混乱のうちに曲を終わる(ああ、世界初演)。ここにおいて全員は気をひきしめ、つぎの『星めぐりの歌』(賢治 詩・曲)はみごとに聴取をとらえた。星空から一転して明るくなったステージで『ポラーノの広場の歌』。用意してあった第一アンコール曲、『死んだ男の残したものは』(谷川俊太郎 詩・武満徹 曲・林光 編)のあと、『高原』初演のやり直しをする。第四ステージで混乱した瞬間に、そうしようときめてあったこと。わけを(お客に)話してから演奏。歴史的といっていいくらいの(!)名演。さらに、お客さまの、というよりうたうほうの「要望に応えて」、『森は生きている』と『十二月の歌』。『森は生きている』をやりますと言うと、最前列の子どもたちがうれしそうに声をあげる。いつどこで知っているのか。そういえば数日まえに、『岩手軽便鉄道の一月』はこの曲かといって、プリントを持ってたずねてきた先生がいたそうだ。プリントされた楽譜は、まぎれもなく「それ」だったそうだ。
 21時30分すぎ、蔵王中腹のアストリア・ホテル着。合唱団全員で打ち上げパーティー。団員のエネルギーは、コンサートにおいてその十分の一ほども、消費されておらぬごとし。ワインをのむほどにうたい、ついに『第九』の断片が登場。そのあまりのメチャクチャさかげんにたえ得ず、ピアノ(ただしアップライト)にすわる。全員うろおぼえで、第四楽章を通しで演奏。

林光 歌の学校(晶文社)より ー1988年4月某日

 「うたごえ新聞」を拾い読み。レッスンということばがやたら目につく。そういえば、1月の名古屋青年合唱団のコンサートのあとだったか、浜島や林学とお疲れ会をやりながら、多少意地悪くからんだことがあったっけ。
 レッスンて、どうして「うたごえ」では言うの? オレたちのしごとの現場で、〈練習〉でしかないことを、レッスンなんて言うなよ。
 練習とは、指揮者が合唱メンバーになにかを押しつけたり、教えてやったりする場ではない。みんなでやってみて、互いに(音楽そのもので)提案しあって、要らないものを捨て、いいものを採用し、くりかえし歌うことでわかってきたことが、自然に表現としてこぼれ出てくるのを、意識的にとらえなおしてゆくことが練習だろう。指揮者が、じぶんの行為をレッスンなんて呼ぶのは、センエツだよ。指揮されるものたちがレッスンなんて言うのは、卑下だよ。オレの友人の音楽教師たちは、起立! 礼! ってのをやめない限り、こどもとおなじ平面に立っての授業なんてできないって言ってるよ。レッスンなんて言うの、やめたら?
 多少は酒の勢いもあって、口走ってしまった、ぼくの意見(異見)を、しかしぼくは、シラフにもどっても取り消すつもりはない。

第15回定期演奏会プログラム [1988.7.9]

 ふたたび、「合唱団じゃがいも」と、ひと晩のコンサートを共につくることができて、ほんとうにうれしい。
 とくに、今回は、二十年来の友だちで仕事仲間の加藤 直が、手伝ってくれる。加藤こそは、「じゃがいも」が待っていた演出家だと、ぼくは確信している。アマチュアの心を忘れないプロと、プロの領域へ好奇心に満ちて踏み込むアマチュアとが、いつも一緒に創造の場を持つことは、ほんとうに必要で、だがなかなか実現しない。きょうのコンサートはそのような得がたい一夜に、きっとなるにちがいない。
 加藤とぼくとの共同の仕事は、加藤の文章がふれている、彼の四つの芝居の劇中歌のほか、黒テント公演『宮沢賢治旅行記』、そしてぼくの二つのオペラ、『セロ弾きのゴーシュ』(1986 こんにゃく座)と『スカートをはいたジャンヌ・ダルク』(1987 アラ・ディ・コーベ)、そして5年間つづいた、8・15「敗戦コンサート」がある。
 記して、感謝の意を表すとともに、それらの共働の経験から得た、ある種の余裕が、きょうのコンサートによい作用をおよぼして、お客様に楽しんでいただけるステージになることを、心からねがう次第。
〔曲目:⑴『コメディア・インサラータ』、⑵合唱劇『鼠たちの伝説』〕

林光 歌の学校(晶文社)より ー1988年10月7日

 発声練習というと、もう何年、もしかしたら10年ちかくもまえになるだろうか、「うたごえ新聞」にのった、たぶん読者の投稿を読んで、考えこんでしまったことを思いだす。発声練習が苦痛だ、とくにひとりで発声をやらされて、そのヘタなやつをみんなにきかれるのは恥ずかしくてたまらない、というような意味のことが、そこには書いてあった。そういう気持ちにならないですむのが「うたごえ」の集団・サークルというものであるはずだと思い込んでいたものだから、ぼくはいささかショックをうけた。
 自由な集団のなかでは、だれに気がねもなく、ヘタクソな歌、まちがいだらけの歌を、だれもが平気で歌うことができ、まわりのものは、ヘンな声をだしたり、まちがえたりするたびに、はじけるように爆笑し、その笑いが、ヘンな歌を歌った当人への、なによりのはげましになる。そういうものだと思っていたし、そういう集団のふたつ三つと、いつもつきあってきた(いまもそうだが)からなのだろう。紙面のその箇所を切り抜いて、つい数年まえまでスクラップしておいたくらい、気になっていたことだった。
 いまは、そういうことはないのか、いまでも、そういうサークルがなくはないのか、知らないけれど、もしもまだなくなってはいないのだったら、「うまくない」ことなんかより、そっちのほうがはるかに重大なことではないんだろうか、と思う。
 みんなのまえで平気でヘタな歌が歌えて、みんなはそれに気がつかないふりをするのではなく、おおさわぎで笑いとばせる、そんな集団になったとき、「発声練習」は苦痛でもなんでもなくなるだろう。それとも、「発声練習」のなかみ・方法・目標が変わるだろう。
 それとも、発声練習というトクベツなものは不要になるのか?
 だって、世界はいま、教則本、練習曲、基礎訓練、〈正しい〉ナニナニのやりかた、といったもろもろについて、見直しの最中なのではないか。

宮城県第一女子高校合唱団 第21回定期演奏会プログラム

[1989年7月25日]
宮城一女の合唱の声は、女声合唱にぼくが求めるものに、比較的ちかい(ヒカクテキだぞ、あんまりよろこぶな)。歌いはじめると、ふだんとはちがって別人のようになる、といったところがないのが、いい。高校だから、メンバーがどんどんいれかわって、うまくなったり、ヘタになったり、波があるだろうが、そんなことはあたりまえで、それより、うまかろうがヘタだろうが宮城一女という、ぼくが気に入っているそこのところを、なくすな。
曲目:『グラナダのみどりの小枝』


音楽の学校(一ツ橋書房)より

全国教研音楽分科会参加者のみなさんへ [1989.]
 ぼくは、いま全国の学校で、おそろしいいきおいで広まりつつある、服装や行動や精神の「一糸乱れず」がだいきらいだ。みなさんもきっとそうだろうと思う。だが、ときに、「管理的」な一糸乱れずはこまるが、「民主的な」一糸乱れずは悪くない、どころか、ときには必要だ、なんて無意識に思ったりすることはないだろうか。あるいは、体育の教師や儀式好きの校長ののぞむ「一糸乱れず」に反対しながら、一糸乱れぬ音楽授業を容認したりのぞんだり、してはいないだろうか。
 「まず静粛、それから授業」や、「背筋をのばして、ではうたえ」は、「一糸乱れず」の同類とはいわないまでも、どこかでつながっているように思う。楽しい授業がはじまれば静かになり、楽しくうたえば背筋ものびる、これが一糸乱れずの反対だろう。「美しく」「正しい」はずの教材と授業が、そうならないとすれば、「美しさ」「正しさ」についてもういちど考えなおしてみることも、いいのではないだろうか。