合唱団じゃがいもの合唱劇 15

合唱劇 銀河鉄道の夜(委嘱初演)


原作  宮沢 賢治 「銀河鉄道の夜」
作曲  吉川 和夫 (2007.10)

《合唱団じゃがいも第12回委嘱作品》

林光、山元清多 追悼公演

芸術文化振興基金助成事業
(財)山形県生涯学習文化財団YAMAGATAアートサポート事業
主催:合唱団じゃがいも
共催:葛飾区文化施設指定管理者
後援:葛飾区、葛飾区教育委員会、
   山形県芸術文化会議、山形県合唱連盟

企画/製作:林光事務所、
      キョードーファクトリー


2011年改訂版 初演
  2011年12月17日 合唱団じゃがいも第38回定期演奏会
  ・山形公演(山形市中央公民館ホール)《2回公演》

  2012年1月29日 合唱団じゃがいも第38回定期演奏会
  ・東京公演(かめあり リリオホール)

初演
  2007年10月20日 合唱団じゃがいも第34回定期演奏会
  ・山形公演(山形市中央公民館ホール)《2回公演》

  2008年1月27日 合唱団じゃがいも第34回定期演奏会
  ・仙台公演(仙台市青年文化センター・シアターホール)




 合唱団じゃがいもが、宮沢賢治作品の合唱劇化に取り組む中で、「いつかは上演したい。」と夢にまで見てきた作品。合唱団じゃがいもの合唱劇で初めての二幕構成による「一晩もの」。
 宮沢賢治の代表作であるが、長編作品であり、無数の入れ子細工のような物語であることから、どの部分を取り上げるのかで作品イメージは大きく違ってくる。
 吉川和夫さんによる「じゃがいも版銀河鉄道」は、原作に忠実に、それでいて東北人の「あたたかさ」を感じさせる、「ほんたうの幸」の追求譚となっており、楽しくも心地よい作品である。

銀河鉄道の旅再び ~元(げん)さんとともに

吉川和夫  

いつかは書いてみたい、と思っていた『銀河鉄道の夜』の音楽。どんなかたちなのか、いつのことかもわからない、いわば「見果てぬ夢」でした。

2005年に「じゃがいも」のみんなと作った『ポラーノの広場』が、難しかったけれどとても面白くて、これならどんな物語だって合唱劇にできるじゃないの…と、結構な勘違いをしてしまったのでした。私も、「じゃがいも」の音楽的リーダー鈴木義孝さんも、そして元さんも。いえいえ、元さんが勘違いしていたかどうかわかりません。でも、2007年に『銀河鉄道の夜』を合唱劇にしようということになった時も、元さんはいつものように、「吉川さんは書きたいように書いてくれればいいです。後はこちらでまとめます。」と言ってくれていました。そして、私はいつものように「大きな船に乗ったような」気持ちで作曲することができました。
完成した『銀河鉄道の夜』の稽古場で、久しぶりにお会いした元さんは、あの大きな体で寄ってきて「やりましたね。やっちゃいましたね!」と声をかけてくれました。その声の調子は、『銀河鉄道の夜』を作曲し終えたことへのねぎらいと、公演にこぎつけた喜びに溢れていました。原作のことばを「カットすることはあっても書き換えず、できるだけまるごと舞台に乗せる」ことは、私や「じゃがいも」のメンバーやスタッフのみならず、元さんも特別な思いを持っていたのだろうと思います。

それにしても、『銀河鉄道の夜』という作品に、私たちはなぜこんなに魅せられるのか、明解に説明するのは簡単ではありません。豊かな科学知識や独特の世界観、宗教観などに裏打ちされていること、様々な今日的テーマを先取りしていることなど、いくらでも挙げることができるでしょう。けれども、ジョバンニやカムパネルラの哀しい物語は、「有名だけれど読まれることが少ない」歴史的文献ではなく、私たちひとりひとりの心の中に、美しく哀切なファンタジーを呼び起こす生きた物語として在るのです。そして、ことばではなかなか説明できないことを明らかにできる可能性を、音楽そして舞台芸術は持っていると思うのです。

山元清多という名前を知ったのは、30年以上昔です。けれども、実際にお話するようになったのは、オペラシアターこんにゃく座が上演した私の作曲による『虔十公園林』(1999年)を観て、「俺、こういうのダメなんだ。泣けちゃって。」と声をかけてくださった頃からだろうと思います。「小劇場運動の旗手・山元清多」。ちょっと近寄りがたいイメージを勝手に持っていた私は、山元さんが実はとてもとても優しい人だということを知りました。そして、いつしか私も「元さん」と呼ばせてもらうようになりました。

じゃがいもと元さんと私とで創った作品は、『虔十公園林』(合唱劇版)、『雪渡り』、『ポラーノの広場』、『銀河鉄道の夜』、『やまなし』です。もっともっと一緒にお仕事をしたかった…。しかし、これは元さんと関わったことのある人だったら、誰しも思うことでしょう。元さんが残してくれたのは、温かくて楽しい思い出ばかりです。

元さんが整えてくれた線路を通って、ジョバンニやカムパネルラと一緒に、再び銀河鉄道の旅に出ることになりました。そこで私たちは、たくさんの人たちと出会うことになるでしょう。会いたくてももう会うことができない人たち、会うことはなかったけれど大切な、無数の人たち…。誰もが、そんな人々と出会うことができるように、賢治はこの物語を書いてくれたような気がしてなりません。ひとりでも多くの方が、銀河鉄道の旅に同行してくださることを願うばかりです。

「じゃがいも」は

山元清多  

 「じゃがいも」は、ずいぶん前から宮澤賢治の書き下ろしを重ねてきて、前回(一昨年)は難物「ポラーノの広場」を実現してしまった。そしてあろうことか今年は難物中の難物「銀河鉄道の夜」に挑戦すると聞いて、いかになんでもちょっと無謀なのではないかと思った。けれど、それがホントになってしまった。
 初めは当の「じゃがいも」の人たちだって考えてもいなかったことだろう。宮澤賢治という巨峰をせっせと登って、気がついたらすぐ近くに頂上が見えた、という感じなのではないだろうか。執拗に続けてきたというのは、スゴイことなのだ。
 ただ続けてきたというだけではない、仙台に吉川さんという作曲家がいてくれた幸運もあるだろう。吉川さんと出会って、いっしょに高い山を登ってきた。その登り方は必死というのでも、ヤミクモというのでもなく、ひたむきというのでもない。山に登るのが面白くって、途中の弁当が楽しみで、ワイワイがやがや。とにかく登ってきた。諦めずに登り続けてきた。そうか、やっぱり続けてきたことのスゴさなんだ。

(2007年 第34回定期演奏会プログラムより)

Staff * スタッフ(2011年版)

芸術監督  林  光

原  作  宮沢 賢治
演  出  山元 清多
作  曲  吉川 和夫
指  揮  鈴木 義孝

台本構成  山元 清多・吉川 和夫
      東海林 聡・鈴木 義孝

舞台監督  田川 律

照  明  安達 俊章
美  術  神保 亮

クラリネット  南川 肇
チェロ     山本 純
ピアノ     郷津 由紀子

演出助手  鈴木 瞳

スライド操作  東海林由貴
スライド作成  渡邉 秀至


Cast * キャスト(2011年版)

ジョバンニ    鈴木 恵
カムパネルラ   高橋 慶

先生       岡崎 充男
ザネリ      高橋 純

活版所の主人   藤江 泰郎
活版所の工員   古澤 良彦
ジョバンニの母  小野寺利恵子

大学士      鈴木 俊明
鳥捕り      安藤 淳
車掌       阿部 洋

ただし      鈴木 烈
かおる子     森谷 智恵
青年       五十嵐正拓(山形公演)
         安藤 與宏(東京公演)

灯台看守     渡邉 秀至
信号手      塚本 万紀子

マルソ      古澤 優芽
カムパネルラの父 東海林 聡

初演(2007年版)公演記録はこちらから


合唱劇 銀河鉄道の夜(全二幕)


プロローグ・あまの川

1 午后の授業
2 活版所
3 家
4 ケンタウル祭の夜
5 天気輪の柱
6 銀河ステーション
7 北十字とプリオシン海岸
  北十字
  プリオシン海岸(大学士)
8 鳥を捕る人
9 ジョバンニの切符
  アルビレオ観測所
  ジョバンニの切符


  - 休 憩 -

濡れた姉弟
天の野原
青い森
黒い鳥
賛美歌(「精神歌」編曲:吉川和夫)
孔雀
赤帽の信号手
ジョバンニの嘆き
とうもろこしの木
新世界交響楽
インデアン
戻れない崖
蠍の祈り
ケンタウル祭
南十字星(サウザンクロス)
ほんとうの天上
川を見つめる人々

エピローグ・あまの川

舞台評

小沼純一 早稲田大文学学術院教授 


 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は創作家たちに刺激を与え、何らかのかたちで「上演」する欲望をかき立てる作品のようだ。今回ふれることができたのは、山形の「合唱団じゃがいも」による「合唱劇」。原作を忠実にたどりつつ、演戯や視覚的効果を加え、立体的な舞台をつくりだすのだが、中心となるのはあくまで音楽であり、声と声のかさなりによる合唱である。いたずらにひびきを厚くすることのないクラリネットとチェロ、ピアノという3楽器は、人声にたいして陰に陽に派手にならない色をつけてゆく。作曲は宮城教育大学で教授をつとめている吉川和夫。
 合唱劇は、その名のとおり、声とからだ、楽器、光を組み合わせた「じゃがいも」独自のかたち。これまでに10を超える作品を作曲家・演出家とともに生みだした。賢治作品が題材としてとりあげられているのは、やはり東北とのつながり、共感によるものだろう。「劇」であるから、ときに歌い手は役者となり演戯をしソロをうたう。しかしすぐにまた「合唱」のひとりになる。大勢のなかにまぎれてしまう。演劇やオペラが主役中心であるのと、合唱劇はちょうど逆のかたちをとるのだ。
 「銀河鉄道の夜」をおもいだそう。ジョバンニは主人公ではあるけれど、同時に多くの人たちのなかのひとりであって、学校でも家庭でも車中でも、ほかの人たちを「見」「聴」き、「語る」。ジョバンニは孤独だけれど、人たちのなかに戻っていく——いかざるをえない。合唱劇は、こうした賢治作品の、いや、ひとのありようというものを、そのまま表しているようにみえる。ことばで書かれた賢治作品が語れることがあり、音楽で語れることがあり、合唱劇で語れるものがある。目で読む、声で発する、うたわれる、それぞれに伝わるものが違う。それぞれにこぼれおちるものはあるだろう。しかしだからこそ、さまざまな表現が可能になるし、ひとがそれぞれ参与できることがある。規模の大きい合唱劇「銀河鉄道の夜」が確認させてくれるのはこうした事実にほかならない。
 合唱劇なるものがもっと各地で広がればいいのに、とおもう。と同時に、いや、これはやはり東北の、山形の、この「じゃがいも」のみが独自に発信しつづけるべきもの、ともおもうのだ。ひとつの新しい表現のかたちとして合唱劇は有効だろう。だが、音楽はそうしたかたちでのみ成り立つわけではない。集まる人びとの気質、親や子、友人知人とのつながり、声をだすことに根づいた土地のありよう、そして気候風土も含みこんだ潜在力だってある。容易によそに移植したりはできない。作曲や演出も、一人一人の顔がはっきりしているこの合唱団と共同作業をおこなっている。
 「じゃがいも」は年に一度東京にやってきて、また山形へ帰る。「じゃがいも」が日々おこなっているリハーサルの現場は、東京に住むものから遠く、異界であるかのようだ。しかし、そこでのいとなみは確実にまた、新しい年に実をもたらす。わたし、わたしたちは、そうした来年の「おとずれ」をまた、待ちつづけよう。
=1月29日、東京・かめありリリオホール

(山形新聞2012年3月8日掲載)

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(撮影・編集:鈴木 康弘)